2011年10月14日

祭りを振り返る-5

このタイトルシリーズ、これで終わりたいと思います。

最後に少しは知識めいたことを・・・と思い、 本

祭りを振り返る-5

屋台に乗っている人形、今年の自町の屋台には、『柳生十兵衛』

きれいな人形だぁなんて眺めているだけでは・・・さて柳生十兵衛とは、と言われても

何も説明できない わーん

タダでさえ自分は歴史はだめである。

そこで便利なネットで検索

『慶安3年(1650)3月21日、剣客として知られる柳生十兵衛三厳(1607生)が
 死去しました。
 柳生十兵衛は徳川家康・秀忠・家光の三代に仕えた柳生但馬守宗矩の長男
 で、同じく家光の剣指南役をしていましたが、後に諸国を漫遊。やがて郷
 里の伊賀・正木坂で道場を開き1万人以上の弟子に剣術を指南しました。・・・』

なるほど・・・ また以下に興味深い説明もあった。

『十兵衛が江戸を出て諸国を巡るようになったきっかけとしては家光との
 関係が言われています。ある時、家光は辻斬りの味を覚えてしまいました。
 夜な夜な密かに城を抜け出しては、闇に紛れて通行人を斬るということを
 していました。
 これは万が一にも表沙汰になる前に何とかせねばと考えた十兵衛は、通行人
 に身をやつして(女装説もあり)、家光が来るのを待っていました。そし
 て家光が、いい獲物が来たとばかり斬りかかると、家光の腕をつかんで、
 堀の中へ思いっきり放り込んでやったのです。
 お陰で家光も反省して、こういうとんでもないことは止めるのですが、さ
 すがに十兵衛と目を合わせるのが照れくさく感じるようになり、十兵衛も
 それを察して、城を辞し、各地を廻って剣の腕を鍛えたといいます。』

また、片目であることも説明がありました。

『なお、十兵衛は片目が見えなかったのですが、これは小さい頃剣の練習を
していて、相手(父の宗矩という)の剣が誤って目に当たってしまい失明
したものといわれます。』

少しは知識が増えたか? 3日もすれば忘れるか? (@_@)

祭りを振り返る-5

また来年、さようなら・・・パー



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